2014年7月18日金曜日

佐久間一 水交会(旧水交社@メソニックビル)12代目会長死去







元統合幕僚会議議長で、自衛隊発足後初めての海外派遣となった平成3年の「ペルシャ湾掃海艇派遣」任務の指揮を執った佐久間一さんが18日、亡くなりました。
79歳でした。
佐久間さんは昭和32年に防衛大学校を卒業し、海上幕僚監部防衛部長や佐世保地方総監を経て、平成 元年、それまでの旧海軍出身者などに代わり、防衛大学校の卒業生として初めて、海上自衛隊トップの海上幕僚長に就任しました。在任中には、湾岸戦争が起 き、停戦後の平成3年4月から自衛隊発足後、初めての海外派遣となった「ペルシャ湾掃海艇派遣」任務の指揮を執りました。
その後、自衛隊トップの統合幕僚会議議長を務め、平成5年に退官したあとは、海上自衛隊のOBらで作る水交会の会長を務めていました。
佐久間さんは、ことしに入って体調を崩していましたが、18日午前5時前、神奈川県内の病院で亡くなりました。

コレもアレDeathなあ・・・(w





水交会(すいこうかい)は、日本の公益財団法人。
帝国海軍戦没者及び海上自衛隊殉職隊員等の慰霊顕彰・海軍の良き伝統精神の継承・海上自衛隊に対する支援協力を目的として掲げ機関紙「水交」発行のほか靖国神社千鳥ケ淵戦没者墓苑、自衛隊殉職隊員慰霊碑への月例参拝や会員同士の親睦等の事業を行っている。
会長及び理事長は海上幕僚長経験者が名を連ねる。同会には横須賀水交会・舞鶴水交会・呉水交会の他北海道・大湊・下総・湘南・関西・香川・佐世保の10支部がある。
1876年明治9年)に海軍省の外郭団体として発足した「水交社」を前身とする。水交社は1945年昭和20年)の終戦と共に解散したものの、1952年昭和27年)に有志が集まって再結成された。その後1954年昭和29年)、旧陸海軍の残務整理を管轄していた厚生省(当時)所管による財団法人「水交会」として設立されたものである。
本来は大日本帝国海軍士官等の社交・親睦等を目的とした会であったが、年月の経過で旧軍関係者らは減少していったので、現在8,000名を越える会員の半数は、海軍の事実上の後継組織である海上自衛隊関係者(現職、退職者、遺族・家族)となっている。
会の本部は1969年昭和44年)、それまでの芝白金三光町から原宿東郷神社境内の水交会館に移った。1985年昭和60年)には、水交会編『回想の日本海軍』(原書房)が刊行された。
会は2001年平成13年)4月、海上自衛隊退職者の任意団体である「海上桜美会」と合併、また2011年平成23年)7月には公益財団法人となった。
歴代会長
  1. 山梨勝之進: 1952年9月14日 - 1957年4月1日
  1. 沢本頼雄: 1957年4月1日 - 1964年4月1日
  1. 榎本隆一郎: 1964年4月1日 - 1970年5月1日
  1. 佐薙毅(第2代航空幕僚長): 1970年5月1日 - 1974年5月1日
  1. 庵原貢(第3代海上幕僚長): 1974年5月1日 - 1978年5月1日
  1. 木山正義: 1978年5月1日 - 1982年5月1日
  1. 内田一臣(第8代海上幕僚長): 1982年5月1日 - 1986年5月1日
  1. 石隈辰彦: 1986年5月1日 - 1990年5月1日
  1. 鮫島博一(第10代海上幕僚長): 1990年5月1日 - 1995年
  1. 大賀良平(第12代海上幕僚長): 1995年 - 2000年
  1. 吉田學(第15代海上幕僚長): 2000年 - 2004年
  1. 佐久間一(第18代海上幕僚長): 2004年 - 2008年3月
  1. 林崎千明(第20代海上幕僚長): 2008年3月 - 2012年6月
  1. 夏川和也(第22代海上幕僚長のち統合幕僚会議議長): 2012年6月 -


水交社(すいこうしゃ)とは、1876年(明治9年)3月21日海軍省の外郭団体として創設された日本海軍将校の親睦・研究団体である。名称の由来は『荘子』の「君子之交淡若水」から採用命名された。総裁は海軍将官現役皇族、社長は現任海軍大臣の兼務であった。

概要

海軍士官専用の旅館喫茶店なども経営し、会員と施設利用は海軍士官高等文官士官候補生などの海軍幹部関係者に限定だった。水交社自体は太平洋戦争大東亜戦争)の終戦に伴い、海軍省と共に消滅したが、1952年(昭和27年)に財団法人水交会として復興した。
機関紙「水交社記事」[1]を発行していた。なお水交会編で『回想の日本海軍』(原書房1985年)が出版されている。
また旧外地台湾台南市汐見町にかつて水交社の建築物があり(後に眷村になった)、戦後「水交社」が汐見町の代りに地名として現在でも使用されている。[2]zh:水交社 (臺南市)を参見。

所在地

  • 明治時代は築地にあった。現在の中央区築地5丁目6番付近で海軍大学校、医学校、経理学校なども現在の築地市場の敷地にあった[3]
  • 移転後は水交社が消滅するまで東京都港区飯倉町(現港区麻布台2丁目のメソニック38、39MTビルあたり)にあり、紅葉館の敷地と隣接していた。

水交社本部ビル

山本五十六の葬儀は麻布飯倉町の水交社で行なわれた。1943年(昭和18年)6月に行われた山本五十六元帥の国葬の列は、麻布飯倉町2丁目交差点近くの「水交社本部ビル」から出発した。
敗戦後の水交社解散後に、空襲から焼け残り空家となった、大きな白い建物であった「水交社本部ビル」は米軍に接収され、米軍関係者のサロンや宿舎に使用された。後に米軍は日本政府へ、「旧日本海軍の水交社を返還する」と通告した。しかし、「水交社本部ビル」が使われなくなっても返還されず、その代わり、占領軍のフリーメイソンによって占拠され、入り口には「メソニック・ビル」の表示が掲げられた。
1949年(昭和24年)暮れに接収が解除された後、1950年(昭和25年)6月に、国(占領下の日本政府の大蔵省) から、土地、建物とも、最低価格の8千万円で優先的に、「宗教法人東京メソニックロッジ協会」(財団法人東京メソニック協会の前身、現・一般財団法人メイ スン財団)に払い下げられ、8月には所有権取得登記が行われた。屋上にコンパスと直角定規の大きなシンボルマークが掲げられた時期もあった。
「メソニック・ビル」には、日本のフリーメイソンの中核となる「日本グランド・ロッジ」1957年(昭和37年)3月設立)が入居していた。現在の黒くて低層の「東京メソニックビル」(東京メソニックセンター、地上2階 地下2階)は1981年(昭和56年)5月に定礎されて(定礎式が行われた年か竣工年かは不明)建て替えられたものだが、一室には水交社時代の応接室が再現されている。
現在の「東京メソニックビル」内には、日本のフリーメイソンの中枢が集まっており、「日本グランド・ロッジ」の他、いくつかのブルーロッジ、リサー チ・ロッジやアメリカ管轄のロッジも含め、事務所が割当てられており、秘書業務・財務業務が行われている。また、付帯組織である「ヨーク・ライト」 (York Rite)や「」スコティッシュ・ライト(Scottish Rite)も事務所を構えている。地上1階はエントランスだけで何もない。地上2Fには「日本グランドロッジ」や「ヨーク・ライト」や「スコティッシュ・ ライト」などのオフィスやライブラリがあり、地下1Fには各ロッジのオフィスがある。地下2Fにはブルーロッジやスコティッシュ・ライトホールやダイニン グホールやキッチンがある。

この接収を巡っては、1952年(昭和32年)に結成された「水交会」 (水交社の後身、海軍関係者のOB団体)が、「国際法違反である」として、建物の返還を要求する、資産取り戻し訴訟を起こし、十年越しの民事裁判が続けら れたが、結局、14年後に、フリーメイソン側が金1000万円を支払うということで、「水交会」側の実質敗訴の形で和解が成立し、水交社跡地はフリーメイ ソンの物となった。









、、、(爆wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

オランダ
ロシア
ユダヤ

踊らされたら負けw

ご近所 さんのコメント...

ネズ公まだブログやってんの?w
荷物まとめて祖国に帰る準備しといた方がええんちゃうこー?www
と播州訛りで書いてみる^^